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母、84歳
ひとりぐらしです

その母のところに、朝から、何度も電話をするのに出ない
庭にいるのだろうか
(よく草引きをしていて気付かなかった、ということがあるのです)
それにしても、長い
今日は日曜だから、病院に行ってるわけでもないだろうし

無駄足になってもいいからと、夫と向かいました

実家までは、車で約40分かかります
半分ほど走ったところで
携帯が鳴りました

知らない番号です
「もしもし」
「○○さん(実家の姓)の娘さんの携帯ですか?」
ドキッ

「A病院ですが、お母さんが、骨折されて
救急車で運ばれてこられました」
あーーーーーーっ、やっぱり
心配が現実に・・・・・

自転車に乗っていて倒れたのだそうです

詳しい状況はわかりませんが
手術が必要と言うのですから
そんなに単純な骨折ではなさそう

私の不安げな声に
看護師さんらしい人は、
「心配ありませんからね」
と付け加えてくれました

母84歳は、歩くよりよっぽど楽!と言って
どこへ行くのも自転車でした。
もうやめたら、と言っても
大丈夫よ、と自信たっぷりだったのです

ひとりで暮らす以上
出歩かないで・・・というわけにもいきません

うちに来ない?という提案も何度かしたけれど
「そんなこと、考えられない」と言う母の気丈さに
甘えていたという悔いが残ります

連絡を受けた病院は
都合よく、そこから20分ほどのところだったので
ほどなく到着

しかし
処置中なのでしばらく待って下さい
と言われたしばらくの長かったこと

意識はしっかりしているのだろうか
痛みはどうだろう
ショックを受けているだろうなあ

いろいろ考えていると
じっとしていられません

3~40分も待たされたでしょうか
ようやく母がストレッチャーに乗せられてやってきました

白い包帯が痛々しい

ぐったりしていますが
「○○さん、娘さん来られましたよ」の呼びかけに
薄く目を開けて
「えらいことになってしもて・・・
美容院に行くつもりが、病院になってしもたわ」
エッ、この状況で冗談か!

窓際のベッドに横たえられたあと
倒れた時の様子を聞くと
ちょっとした段差に車輪を取られたのだとか

あいにく周りに誰もいなかったので
助けてもらうわけにもいかず
仕方なく、近くのかかりつけのお医者さんのところまで
自転車を押して行ったのだそうです

「お母さん、すごいなあ」

「だって、足は痛かったけど
少し休憩したらすぐ治るやろうって思ってたんやもん」

日曜なので先生はいなかったけど
たまたま出てきた人が救急車を呼んでくれたのだ
と、状況説明もちゃんとできますから
「頭は大丈夫やね」
と言ったら
「頭は打ってないんやから大丈夫よ」と強気です

しかし
「迷惑かけるねえ、ごめんね」
と言う言葉に
一人っ子の私にできるだけ負担をかけまいと
今まで、精いっぱい頑張ってきた母の気持ちを思い
せつなくなりました

おそらく3日後に手術

先生の話では退院までには1ヶ月半はかかるだろうということです
高齢ですから、もっと長引くことも覚悟したほうがいいかも・・・
退院後はリハビリを続けなければいけません

今度は私が親孝行する番
出来るだけのことをしよう・・・・と思っています








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母のいない母の家

病院の付き添いの合間に
必要なものを取りに実家に帰る

当分家に帰れなくなるとは
思いもせずに出たであろう母の痕跡

少しゆがんで脱いであるスリッパ
もらい物なんだろうか、お菓子の箱がテーブルの上に
洗いかごには朝の食器

母のいない母の家は・・・淋しい


今回はおそらく
帰ってくる事はできるだろうけど

いずれ・・・
母が帰る事のない
この部屋を見る時が来る・・・と思うと
淋しい、無性に



気を取り直して
必要なものを探す

パジャマ、バスタオル、ティッシュペーパー・・・
入院の手引きを片手に
押入れを開け、たんすの引き出しを探る

古ぼけた衣装函をあけると
樟脳のにおいが鼻を突く
きちんとたたまれた衣類や、はぎれ

笑ってしまうほど古いものがある
いつか、何かにと思って何十年なんだろう

そして
いつか、私がこれらを捨て去るんだろう


感傷に浸っている場合ではない

母に聞いた場所に、聞いたものはあった

必要なものを取り出し
紙袋につめ
足りないものを買い揃えて
早く病院に戻らなくては




病室にて

母の手術、無事終了しました。
前夜に発熱し
手術できるかどうか気をもみましたが
術後も特に問題なく
夕飯もおいしいといただく元気さ。

多少の発熱はあるものの今のところ順調です。
このまま行けるようなら明日からは、リハビリ開始しましょう、と言う
先生の言葉に驚くやらうれしいやら。

怪我の当日は
骨折のショックでかなり落ち込み
翌日には熱の影響もあってか
言動が怪しくなってギョッギョッとさせられたことを思うと
めざましい回復ぶりです。

手術した日は何かと不自由だろうからと
今夜は付き添っていますが、その必要なかったかな。

消灯時刻もとっくに過ぎて
静かになった病院の長い夜

せっかくなので
最近の手術事情でも書いてみることにしましょうか

手術前には
インフォームドコンセントとかいうのでしょうか
やたらいろんな説明を受け、たくさんの了承のサインをしました。

手術前日には、主治医から家族(夫と私)にどういう手術をするか、X線写真を見ながら説明がありました
この説明が、極めて簡潔かつわかりやすい
しかもイケメン(^.^)だし
もう安心してお任せです

その後は
手術室担当の看護師さんがベッドサイドに来て
写真付きファイルを見せながら
手術の段取りを説明してくれます。

母にも私にも、少しずつ具体的なイメージができてきます。

その次は麻酔科の先生。
どういう麻酔を使い
どういうふうに効いて、覚めた後はどんな症状が出やすいか
危険性や、後遺症についても詳しくお話がありました。

そうそう
高齢者の場合
手術後、麻酔の影響で朦朧として傷口を触ったり、暴れたりすることがあるので
「抑制がきかない場合は、拘束をしてもよい」という書面にも
サインを求められました。
複雑な思いでしたが
四六時中付き添えるわけもありませんから
仕方なくサインしました。

このサインが効力を発揮する必要がなくて、よかったです

手術当日
手術衣に着せ替えられた母は、ストレッチャーに移され手術室に向かいます。

テレビドラマなどで
家族が手を握り「おかあさん、頑張って」とか言うところですが
命にかかわる手術でない気楽さ
後ろからトコトコついていっただけでした。

そして手術室前まで行くと
「頑張って」という間もなくドアの向こうに連れて行かれてしまいました。

私たちには、PHSが手渡され
手術が終わったら連絡するので、院内ならどこに居てもいいとのこと。

以前ならば
家族は扉の前で、手術の終わるのを今か今かと待っていたのでしょう。

手術事情も随分かわったものだと、思います

大体
骨折と言えば、ギブスで固定するもの
と思ってたのに
傷口には、10cm×5cm程度のガーゼが貼ってあるだけ。
手術翌日には、歩く練習開始というのですから驚きです。

今、母は手術がすんで安心したのか、ぐっすり寝ています。

明日からのリハビリに頑張り、早く骨がくっつきますように。
以前のように歩けるようになる日が一日も早く来ますように。

自転車には・・・
もう乗らないそうです(笑)




院内コミュニケーション

「男前やねえ

「あの顔、好みやわあ

「いい感じやねえ

「タイプやわあ

入院中の母の病室
主治医回診後の会話です

話しているのは
母も含めて
推定平均年齢80歳のおばあちゃん患者たち

たとえ80と言えども
イケメンには、心が弾むようです


手術後は、静かで広い方がいいかと
個室に移っていたのですが
私がついている間はいいけれど
帰ったあと淋しいから・・・・と母が言うので
最初にいた6人部屋に替えてもらったのです

患者さんの顔をしっかりとのぞき込むようにして
一人ひとりに優しく「どうですか?」と診て行かれるドクターは
同室のみなさんに絶大な人気です

「うっわ~ライバル多いですね!」と言う言葉に
病室とは思えない陽気な笑い声が上がります

骨折以来
何かにつけて、すぐため息をつく母に
この明るさは何よりでした

あ~~替わってよかった

交代でリハビリ室に出かける人に
「行ってらっしゃ~い、頑張ってね」
「おかえりなさ~い、お疲れさま~」
と声掛けするのも和やかでいい感じです

術後2日目にして
早くもリハビリを開始した母にも
「初めてやのにそこまで出来たら大したもんやわ」
「すごいすごい!」と
「その調子なら、すぐ歩けるようになるわ」
と、励まして下さいます

暇な時間には
「あの看護師さんはキツイ」
「あのリハビリの先生は、優しいけど絶対甘えさせてくれない」
等など
病棟情報も聞けるし

院内コミュニケーション
何よりの薬になりそうです







友への手紙

3日前は春の雪が積もり
庭の、満開のサクランボの花も
震えあがっているようでしたが
今日は少し暖かくなりました

さくらんぼ

先日はお手紙ありがとう

「お母様その後いかがですか?」
って母のことを気に掛けてくださる言葉が
うれしくて、心にしみました

昨年11月の骨折、手術、入院生活のあと
我が家に2週間ほど滞在しただけで
自分の家がいいと、サッサと帰り
一人暮らしを再開した母ですが
このところ、もうひとつ元気がないのです

ハナの死が、今になって応えてきたのでしょうか

覇気がないというか
何事に対しても後ろ向きで
弱音ばかり吐くのです

物忘れがひどい
新しいことを覚えられない
理解できない
体が思うように動かせない
私はこの頃おかしい
ボケてきてるんじゃないか

マイナス発言が多く
ため息ばかりついています

以前に比べれば、ずいぶんサッサと歩けるようになったと思うのに
いつまでも痛い(違和感がある)と、顔をしかめます

できるようになったことを喜ばず
できなくなったことを嘆いてばかりのような気がします

他人とのふれあいの機会があればいいかと
デイケアに行ってみたら?と
ケアマネージャーさんに頼んで
見学に連れて行ってもらった時には
楽しそうに歌など歌っているように見えたのに
「気が進まない」「必要ない」と断わりました

それならヘルパーさんに来てもらって
家事を補ってもらったら?と言うと
「知らない人に家に入ってほしくない」と言います

一人で買い物に行けないので
不自由しないようにとコープの個配 (チラシを見て注文、一週間後に配達)を頼んだら
「やっぱり店舗で見ながら買うのがいい
私には合わない、もうやめる」・・・と言うしまつ

私自身が
元気で暮らしてもらわなければと
先走りし過ぎかもしれません

誰のために
何のために

という所に立ち返って
接しなければいけませんね


そうそう
昨日、電話で話した時に
「また犬飼ってみたい?」となにげなく聞いたら
「そうやね、飼ってみたいわ」・・・と言うのです

「ハナみたいにちっちゃくて可愛い仔がいたら
飼いたい」・・・って明るい声で

「もう飼わない、無理よ」と言うかと思っていたのに・・・

う~~~ん
希望をかなえてやりたいけど
私は
ハナが私の腕の中で息を引き取ったあの瞬間を忘れられません

もうあの思いはしたくない・・・と思うのですが
母が自主的に何かをしたいと言ったのは
怪我以来はじめてのことです

「トイレのしつけから始めないといかんし
もう、無理かもしれんね」
と、自分をあきらめさせるように母は言いますが
気力を取り戻す何よりの活性剤になるかもしれない

でも
一度飼い出したからには
大変だからと投げ出すわけにはいかない

難しいところだなあ


一度ペットショップでものぞいてみることにしますか



ごめんなさいね

なんだか姉妹に話を聞いてもらってるような気分で
とんだ長い愚痴を聞かせてしまいました


では、おやすみなさい


86歳、ピアノ弾く

母86歳

先日、アルツハイマー性認知症と診断されました(本人には伝えていません)
だからと言って急に変化があったわけではなく
今まで同様、心もとないなりに一人の暮らしを続けています

進行を遅らせるためのお薬を欠かさないように
毎朝「お薬飲んだ?コール」が私の日課になり
実家通いを週2~3(うち1回は泊り)にふやしはしましたが。

母は歌が好きなので
行った時にはなるべく歌う機会を持つようにしています
親娘二人の貧弱な合唱団ですが
私がボランティアで使うために作った歌詞プリントを持って行くと
歌詞を追って気持ちよさそうに歌ってくれます
(86歳にしてメガネなしで新聞が読める驚異の視力を持っていますので、プリントの字も難なく追えるのです)
歌詞プリント

先日も、夕食後二人で大きな声を張り上げた後
「そうや、この歌弾けるんやない?弾いてみたら!」
と促してみました

リビングには、刺激になればと数年前に私がプレゼントした小さなキーボードが置いてあります
母には楽器経験は全くありませんが
簡単な童謡や唱歌なら、片手で探り弾きしていたのです
ここ1~2年はキーを触りもしませんでしたが
なじみのメロディに誘われたのか、弾きはじめました

2~3度弾いた後の成果です

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最初のポロポロはなかったことにして(笑)
一度も間違えずに弾きました
リズムだってしっかりと伴奏に合わせてるでしょ?(ていうか伴奏が合わせた

「お母さん、すごーい!!!」
感激の私の声に
「そう?」とこんなこと、どうってことないでしょってな感じの母

機能の維持のために
得意の編み物がいいかもと、材料を買いそろえて編みはじめても
何十回も「40目、二目ゴム編みでね」と編み方を説明するのはいい加減ウンザリだし
書くこともがいいと思って買った2012年日記帳にいたっては
2日書いたっきりで残りは白紙のまま

あれやこれやと絞る智恵が空回りの感がある中
久し振りにうれしい、母の迷演奏でした

待ちの姿勢

今週末に親戚の娘っ子の結婚式があるので
家族一同で列席することになっています
もちろん母も出席します

母は、着物を着る予定なのですが
着物って、着るのも大変だけど準備もなにかと面倒

今までならこんなこと私が気にする必要はなかったんだけどなあ
と、ちょっと複雑な思いで
「お母さん、長じゅばんに半襟つけとかないとね」
と10日ほども前から出してあるのに
「置いといて、明日やるから」と母はいつまでもやろうとしません

母にとって半襟をつけるくらいどうってことないはずなのに
億劫なのか、忘れてしまうのか

私がサッサとやればいいんだけど
ほら、人には得手不得手と言うものがあるでしょ?
それに、出来ることは自分でやった方がいいしね

この調子だと、当日に慌てかねないと、先日
「お母さん、今つけてしまおう!」と促すと
よっこらしょと立ち上がり
「えっーと、針山はどこやったかいな」
と、別室に探しに行ったのはいいけれど
長いことかけて戻ってきたのに、手には何もなく
台所に行き、お茶などいれております

ありゃりゃ、どうやら何をしに行ったか忘れた様子

まあネ、そういうこと私もよくやる
ここに何しに来たんやった?とやり直すことだってあるから
仕方ない、仕方ない

代わりにお針箱から針と糸を取ってきて「これでいいかな?」と
再度促すと

ソファに座り、襦袢を広げたので、ヤレヤレやっと取りかかるかと思ってたら
襦袢は横に置いて、アレェ新聞を読み始めてるよ

う~~~ん

これっていつかの状況に似てる・・・

昔、子供が勉強しなさい、と言われて宿題を広げたはいいけど
鉛筆削ったり、そばにあるマンガ本にちょっと手が出たり
なかなかかかろうとしないのを、そばで見ていた時の「ん~もう!」って感じ

しかし子供と違って、これしきのことを何回も言うのも何だし・・・
まあいいや、とテレビを見ておりますと
いつのまにか、縫い始めておりました
取りかかれば、前にも書いたけれど母はメガネなしで新聞が読める視力を持っているので
針に糸を通すのも平気
何の助けも必要なく(逆に私の方が糸を通してもらわないといけないくらい)
ものの10分もしないうちにきれいに仕上げました

母に残された能力はまだ色々あるはず
それを生かすためには
ほどよい手助けと「待ちの姿勢」も大事だなあと思ったことでした

今度は孫・祖母で

親戚の結婚式のために
娘が東京から帰省してきました

名古屋の息子は、仕事の都合で当日直接会場入りするということだけれど
実家から母も連れて来ているので
うちの中もいつもより少しばかり賑わいます

「おばあちゃん、ピアノ聴かしてよ」ブログを読んで母のピアノのことを知った娘のリクエストに
「えーー、おばあちゃんのピアノなんか聴いてどうすんのよ」とか言いながら
いつもはなかなか上がらない腰を上げて、母はピアノに向かいます

多少つっかえながらも「鯉のぼり」を弾き終えた母
娘のやんやの喝采に気を良くしたのか
その後も、めだかの学校、夕やけ小やけ、靴がなる、チューリップ・・・童謡が次々と登場してきます

ピアノをやめてから久しい娘ですが
それでも4歳から中1までの9年間のレッスンは無駄ではなかったと見えて
「ヘ音記号の音がすぐに分からへん」とか言いながらも
母の弾くメロディに合わせてポツポツと伴奏をつけだしました

祖母・孫連弾

つっかえたり止まったりしながら、二人の連弾はその後も
「夕ごはんにしようか」と私が声をかけるまで続いたのでした

母がこの出来事を明日も覚えているかどうかは疑問ですが
私の大切な思い出の引き出しには、ちゃ~んと入れたからね

迷いの中で

子供の頃
ひとりっ子はよく羨ましがられました
「お菓子とかもらったら、全部自分ひとりのものなん?」
「お下がりの服なんか着たことないでしょ?」
「えーっ!部屋は一人で使えるの?」

いや、まあそうですけど

逆に
「淋しくない?」
と聞かれることも多かったけど
最初から一人だから、それが当たり前で特に淋しいと思ったこともないし

だから兄弟がいる人を特にうらやましいとも
一人だからイヤだなあと思うこともなく生きて来たけれど

今この年になって、兄弟姉妹がいたらいいのに、と思います

母のことを、相談したいのです

4カ月ほど前にアルツハイマーの初期と診断された母は
心もとないなりに、それまでと同じようにひとりで暮らしています
介護認定は要支援1
デイサービスとヘルパーさんを週に一回ずつで限界です

母は、このままでいい、このままがいい、と言うのです

自分で何でもやっていた頃と変わらず、何でもやっている、できていると思っているのでしょう
ヘルパーさんはもう来てもらわなくてもいいのに・・と言います
自分でやるから・・・だそうです(ーー;)

「このままでいる」ために
私はアシストの時間をずいぶん増やしました
実家までは車で40分
すごく遠くはないけれど
毎日スープを運ぶにはしんどい距離
行かない日は電話で遠隔操作です

記憶がすっぽり抜けおちるのはいたしかたありません
覚えてないことは前提のフォローですが
これでいいのか、このままでいいのかと日々思い悩みます

おっ、今日は冴えてる、という日にはまだ当分大丈夫かなと思うし

訪ねて行った時に
暑いリビングで、エアコンもつけず
ボンヤリ座っている姿を見ると
このままでいいのだろうか、こんなことしてていいのだろうか
とジリジリとした思いに駆られたりします

うちにつれてくることも考えたけれど
来ても所在なげな母の様子を見ていると
気楽で好きなように過ごせる実家がいいのかなあと
結局は「このまま」を続けているのです

夫も愚痴は聞いてくれますし
私が実家に行くことにも協力的ですが
しょせんは義理の親のこと
どうするかの判断は私がしなければいけません

この選択がいいのかどうか
お菓子を半分こしてもいいから
部屋も共同でいいから
同じ立ち位置の人の意見を聞いてみたい、と思うのです

すべての決断が私一人に委ねられる・・・
一人っ子の荷物の重さを、今ひしひしと感じています

花の力

先日実家に行ったら
テーブルの上に可愛いフラワーアレンジメントが置いてありました

「あら、これどうしたん?」

「Mちゃんが送ってきてくれたんよ」

娘が、母の誕生日に送ってくれたらしいのです

頂き物のお菓子の箱があっても
それがどなたからのものか、いつもきれいに忘れている母が
これはちゃんと覚えていました

いつ届いたん?
「えーっと、昨日やったかな」

誕生日は5日も前でしたから
数日前のことでも母にとったら昨日なのかな
と思いながら送り状を見ると前日の日付
これも間違っていません

娘の心遣いもうれしかったけれど
それをちゃんと記憶に留めていた母がうれしい

娘に電話して
「おばあちゃんに誕生日プレゼント贈ってくれたんやねえ、ありがとう
Mから来たもんやって、ちゃーんと覚えてたよ」と言ったら
「一緒にお菓子も少し贈ったんやけど・・」と言います

「お母さん、Mがお菓子も贈ってくれたそうやけど?」と聞くと
「えっ!そうやったん?」とのお返事

でも冷蔵庫を見ると、ちゃんとそれらしきものがひとつ入っていたので
残りは食べたのでしょう

多分、お花がうれしくて、お菓子のことは上の空だった・・・んだよね

うれしそう

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Author:poco
                夫は20年前に1型糖尿病発症。いろいろあったけどやっと落ち着いて過ごしだしたところに、思いもせぬ血管肉腫というガン宣告。
極めてまれなものということで一時は絶望的な思いに駆られましたが、週1回の抗がん剤点滴でがん細胞と折り合っているらしく、無事に4年目にはいりました。
ちっとも甘くない生活だけど、初孫(♀1歳)とひょんなご縁でうちの子になったチワワのりく(♂9才)に癒される毎日です

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1型糖尿病とは

    

ある日突然、何らかの原因で膵臓のβ細胞が破壊される自己免疫疾患。        発症原因も治療法も一般的な糖尿病とは異なります。 体内でインスリンを作れないので、毎日数回のインスリン自己注射をして血糖の上昇を防ぎます。           適切なインスリン注射により、仕事運動、旅行など健常の人となんら変わることのない生活を送ることもできるし、食事の制限もありません。     しかし、低血糖や高血糖に陥ることも多く、完治することはないので、このインシュリン注射は一日も休むことなく一生続けないといけないのです。

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