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《回想》初めての低血糖昏睡

発病後数年は、低血糖になった時は
冷や汗が出たり
集中力がなくなったり
気分が悪くなるなど
低血糖だということをすぐに感知していました。

夜中でも、寝苦しくなるから分かるんだ
と言っていました
血糖値30だとか、40のぎょっとするような数値が出ても
何ともないこともあり
「僕は、低血糖に強いのかなあ」なんてのんきなことを言っていました。

しかしそれは大きな間違いだったことに気が付いたのは
発症から5年を過ぎたころでした。

その日
深夜3時ごろでしたか
ただならぬ気配に飛び起きた私は(どうただならなかったかは、後日判明)
隣室に寝ている夫の様子を見にいきました。
その頃夫は、ベッドだと腰が痛いと言って
隣の部屋に布団を敷いて寝ていました。

「どうかした?」
呼びかけても返事がありません。

「ン?気のせいだったかな」
と思いつつ
廊下からの灯りで様子を伺ってみると
布団からずり落ちているみたい
掛け布団もはだけている。
・・・・・何かおかしい

そばによって見て仰天しました。

目は開いているのです
目が開いているのに意識がない!!ゾーーーーッ
一瞬死んでるのかと思いました。
「うそでしょーーー!」
名前を呼んで、揺さぶっても無反応

これが話に聞く低血糖昏睡!?

怖くて、歯がガチガチいいました。

その当時は息子が家にいましたが
若い子の睡眠って深いんですね。
すぐそばの部屋で母が叫んでいるというのに
「お父さんが大変!救急車呼んで!」と
たたき起こしに行くまで気づかないんですから。

息子が119に電話している間に
私は常備しているファンタグレープを
食いしばっている歯の隙間から流し込みます。
歯並びが悪くてよかった

もちろん大半がこぼれますが
少しは入るらしく、時おりのどがごくりと動きます。

どうぞ死なないで!
日ごろの憎らしさなど忘れて思っていました。
そんな時でも布団が汚れないよう
バスタオルをしっかり巻きつけている妙に冷静な自分がいました。

そして
ピーポーピーポー
遠くに救急車の音が聞こえて来た頃
うつろに開いているだけだった夫の目が少し動きました。
「あっ、目が動いた!」
でも、目はうつろなままです。
呼びかけにも答えません。

そうこうしているうちに
救急車が到着
「Ⅰ型糖尿病の低血糖昏睡です、ジュースを飲ませました」
などと救急隊員に説明していると
夫が体をもぞもぞ動かしだしました。
ジュースの糖分が少し回ってきたのでしょうか
とても苦しそうです。

担架で救急車に運び込んだり
受け入れ病院との連絡などにかなり時間を取られました

救急車の中でも、意識はまだ戻りません。

幸い、うちから歩いて2分ほどのところにある病院が
受け入れてくれることになりました。
何しろ歩いて2分ですから
サイレンを鳴らす暇もないほどで
すぐに救急病棟に運び込まれました。

そして、救急病棟のベッドに横たえられて
「poco夫さん」
と医師に呼びかけられた時には
「ハイ」
とかなりはっきりした返事が返ってきました。
そして「何があったの?」と驚いています。
血糖値は59

ああやれやれ、生還したと
ホッとして、足から力が抜けていきました。

ブドウ糖と、生理用食塩水の点滴を受け
とりあえず一晩(といってもあと数時間)様子を見ましょうということで
緊急用ベッドに落ち着きました。

「僕はもう大丈夫だから帰っていいよ」
と、夫は言いますし
私がそばにいたら寝にくいかなと思い
とりあえず帰りましたが
初めての経験で、こちらも興奮状態ですからとても寝られる状態ではありません。
テレビをぼんやり見ながら朝を待ちました

夜が明けるのを待って
着替えや靴を持って様子を見に行きました。

本人もショックだったのでしょう
あれから全然寝られなかったとのこと。
もっとも、看護師さんが
たびたび血糖測定や様子を見に来るので
おちおち寝てもいられなかったでしょうが

朝8時の診察で特に問題なしなので帰っていいとのこと
「車で迎えにこようか?」と言ったら
「走ってでも帰れる」ですって

それからうちで朝ごはんを食べて
何事もなかったかのように出社しました。

数時間前まで意識不明だったのに・・・・

それまでは、話に聞くだけで他人事のように思っていた低血糖の怖さを
はじめて痛感した夜でした。

そして、これが引き金のように
夫は、それ以後たびたびの重症低血糖に見舞われることになったのです。








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《回想》電車内で低血糖事件

5年を過ぎた頃から起きだした無自覚性低血糖
そのたびに、胃が痛くなるほどの心配をしました

電車の中で起きた低血糖もその一つです。

夫は、会社会社を出る時に
いつも帰るメールをしてきていました。

メールが来てから1時間20分ほどで家に帰ってきます。
それはもう、毎日きっちり

その日も帰るメールは届きました。
ところが、帰宅予定時刻を過ぎても帰ってきません。
アレッ、どこかに寄ったのかな?
でもそれなら連絡してくるはずだし・・・

携帯に電話を入れますが出ません。
おかしいな

10分が過ぎました。
またしても携帯はつながりません。

20分・・
30分・・・

何十回も電話しますが

出ません・・・・・・

胸がドキドキしてきます。

とりあえず、駅まで行ってみよう
駅の中で気分でも悪くなったのかもしれない
駅員さんに断ってホームまで見に行きます。

当然ながらいません。

40分・・
50分・・・・

時間はどんどん過ぎていきます。

何かあったに違いない!
どうかなってるに違いない!

どこに行ったの!
どうしたらいいの!
どこを探せばいいの!

誰かお願い電話に出て!

携帯を握って
ただウロウロするばかりです。



何度目の電話だったでしょうか

つながった!!

「もしもし!」
の呼びかけに返ってきた声は
心のどこかで予期したとおり本人ではなく
女性の声でした。

「あのー奥さんですか?」と遠慮気味の声
「ハイ!そうです!」
「改札のところで、ふらふらしてたから・・・・」
「本人の様子はまだ変ですか!?そこはどこですか?」
「はぁ、△△駅ですけど
 なんかわけのわからないこと言ってます」
「よく電話に出てくださいました。ありがとう。
 近くに自販機がありますか?
 申し訳ありませんが、そこで何かジュースを買って飲ませてください」
「何でもいいんですか?」
「ええ、甘いものならなんでもいいです
 私は、すぐそちらに向かいますので」

若い感じの声に、頭を下げながら続けます。
「で、もしお急ぎでないなら、私が着くまで一緒にいてもらえませんか」
「いいですけどぉ~」
「すみません
エーッと、20分くらいかかるかと思いますが・・・・よろしくお願いします!」

そこはうちの最寄り駅から、いくつも過ぎた駅です。

ちょうど帰ってきた息子の運転で向かいます。
安否がわかって、体中の力が抜ける思いです。
それと同時にだんだん腹が立ってきます。

何で、そんなになるまで補食しないのよ!
おかしいと思ったときに飴玉一個放りこめばいいのに!
カッカとしている私に
「お父さんにはお父さんの事情があったんやろう」
と息子は寛大です。


そこうするうちに△△駅に到着

電話に出てくれたのは女子高校生でした。
仲間らしい男女数人の高校生の前の階段に夫が座り込んでいます。
あらま、手には缶コーヒー!
ジュースって言ったのになあ。
まあええか、おじさんやし、コーヒーがいいかなって思ったんでしょう。
無糖でなくてよかった。

普通大人なら
電話が鳴ってるのに出ないでフラフラしてる人がいても
なかなかそのカバンを開けて、携帯を取り出すことは出来ませんよね。

まつげが重そうなほどマスカラどっぷりつけた女の子たちに
だぶだぶズボンを腰までずらした男の子
普段なら眉をひそめて見てしまいそうな子達ですが
ホントによくぞ電話に出てくれました。

「ありがとう、ほんとに助かりました」
心の底からお礼を言いながら
「いいですっ!」って遠慮する高校生たちに
「ジュース代だから」とお札を渡しました。

夫は、というと
まだ、完全に戻っていないようで
ちょっとボーっとしています。
家に帰る車の中で
息子が買ってきたコンビニのおむすびを食べて
徐々に復活

状況を聞くと
帰りの電車に乗った頃には低目を感じていたとのこと
補食しなければと思っているうちに
急激に下がってしまったらしいのです。

「迷惑かけたね」の言葉に
「それだけなの?」と言いたくなります

体中の力が抜け落ちたように思うほど疲れてるのに

でもまあ、無事でよかったと安堵した夜でした。


岩田の勝った翌日は

夫は、特に熱狂的な阪神ファンではありませんが
岩田投手は同じ病気と言うことで
特に肩入れしています。

TVの実況アナウンサーが
「途中でブドウ糖を補給しながら投げているそうです」
などと言うと、とても喜んでいます。

昨日
52日ぶりに勝利投手になったというのに
朝日新聞には岩田のことがほとんど載ってない、と夫は
今朝わざわざコンビニに、デイリースポーツを買いに行きました。

岩田

「ほら、こっちは一面に載ってるよ!」
とまるで、息子が出てるような喜びようです。

ところが、記事を読んで
「もうIDDMのことは書いてないなあ」とちょっと物足りなさそう。
そりゃ記者だって同じことばっかり書けないでしょうからね。

でも岩田クンのおかげで
病気のことを説明しやすくなりました。
「阪神の岩田と同じ病気です!」って言うと
大抵の人が
「あ~~~」と納得したような顔をするのです

IDDMという病気が世の中にもっと浸透するためにも
岩田君に頑張ってもらいたいものです



一筋縄ではいかないヤツ

あ~~ぁ また朝の低血糖です。

夫がガサゴソ寝返りを打つ気配で
ふと目覚めて時計を見ると5:30
あれー?まだ寝てる!
夫は通常、5時前には起き出します。(もちろん、私は寝ています)

なのに、5:30になっても寝ているということは・・・・
テーケットウ

「poco夫さん!」
呼びかけると、普通に
「ン~~?」と返事

「大丈夫?」と聞くと「大丈夫」と返事
うそばっかり!

「きっと低血糖よ、血糖値はかったら?」
「うん
返事ははするけど動きません。

間違いない

仕方ない、起きるか。
「血糖値はかるね」
夫は手を投げ出したままじっとしています。

パチン
アレーっ、血が出ない!
穿刺のやり方がまずいのか
充分に出ません
パチン、パチンと3回もやってしまいました。ゴメン

40です

ブドウ糖キューブを2個口に放り込みます。
ところが飲み込まない。
「ほらごっくんして!」
赤ちゃんだったらかわいいんだけど・・・
61のおっさんは、口にキューブを含んだまま寝ています。

体をかかえ起こして
ベッドサイドに常備のファンタグレープを少し飲ませます。
口に含んでいたキューブが一緒におなかの中に入りました。

ヤレヤレ
これで10分待てばできあがり!


10分後

「もう起きる?」
「うんそうだね」

はっきりした声が帰って来ました。
復活!

もうこれしきの低血糖に慌てふためくことはなくなりましたが
昨夜、就寝前血糖値は60
ちゃんと補食して寝ました。
なのに、朝方のこの低血糖
なぜなんでしょう?

同じような数値で同じように補食して上手く行くこともあれば
高くなることもあるし・・・・

血糖値
いつまでたっても一筋縄ではいかないヤツです。






《回想》2度目の低血糖昏睡

最初の低血糖昏睡を起こした時
隣室で寝ていたにもかかわらず
私がなぜ気づいたのか・・・・
後でいくら考えても、よくわかりませんでした。

「隣の部屋に寝てるのにねえ
なんかただならぬ気配を感じて感じて目があいたんよ」
という私に
「さすがやね~!」「愛の力やわ」と
友人達は半ば感心、半ば揶揄しながら言っていました

でも、それが愛の力でなかったのは
2度目の低血糖発作の時に判明しました。

初発作から10ヶ月ほどたって、多少気も緩んできたある日の深夜

ぐぁ~~~
というすさまじい叫び声

そう、はじめての時も
この声が聞こえてきたのでしょう
その時は、気が動転していたので
あとで振り返っても何で気がついたのか分からなかったのです


さて、飛び起きた私の目に映ったのは
半身をのけぞらしベッドから落ちそうになっている夫の姿でした。
前回と同じく、目は開いていますが無反応

この日は娘がいました。
二人で、硬直した夫の体をベッドに引きずり上げ
ジュースを流し入れます。

これって、器官にはいるかもしれない危険な行為だというのは
前回の発作の後知りました。
だから、今回は誤飲しないように
頭をちゃんと上げて飲ませます。
2回目ともなると、落ち着いたものです

娘は119に電話
連係プレイもバッチリ

後は前回と同じような経過をたどりますが
今回は運び込まれた病院の救急担当医が最悪でした。


どう最悪だったかはまた後日ご報告したいと思います

《回想》最悪救急医

低血糖昏睡で運び込まれた深夜の救急病棟

夫は救急隊員と看護師さんの手で
テキパキと処置室に運び込まれました。

そこにヌ~~ッと現れたのは
寝ているところを起こされたといわんばかりの
いかにも迷惑そうな顔の医師

救急隊員の方が症状、私がジュースを飲ませたことなど伝えます。
医師は目線を合わせず
「聞こえてるの?」といいたくなるほど無反応

その後
私は手続きのため受付へ。
救急隊員の方にお礼を言ったりして
ひとしきりしてから処置室に戻りました。

当然
今頃はブドウ糖の点滴が始まって
意識も戻りつつある頃かな、と思いながら・・・・

ところが



まだ何の処置も始まっていません。

意識の戻りきらない夫の横に
ドクターはボヤッと突っ立っているだけ・・・なのです。

夫の腕には、すでにゴムチューブが巻かれ
点滴液も用意されています。
勝手の分かった看護師さんは
今すぐにでも注射できるような体勢なのに・・・・

あれっ!?と言う顔の私に
ドクターは、よく聞き取れない声でなにかモゴモゴ説明を始めました。
あまり長いので、看護師さんは少し困った顔で
夫の腕に巻いていたゴムをはずしました。
そして長~い説明が終わった後
「どうしましょうか?」って言うのです。

はあ?どうしましょうかって・・・・
私が決めるんですか!?


思わず声が裏返っちゃいました。
「そ、そ、そんなこと言ってません
アーだしコーだし何とかだし
点滴しましょうか、どうしましょうって言ってるんじゃないですか!!」
とまたよくわからない事を言ってドクターはいきなり怒り出します。

何なのこの医者!

低血糖で意識混濁の人を前にすることは
血糖値測定と血糖値を上げることでしょうが!
どうしましょうって家族に相談持ちかけてる場合か!

処置してもらうために来たんですから
さっさとしてくださいっ!!

と叫んでしまいました。

ご家族の方は待合室でと看護師さんになだめられて
その場は離れましたが
あのドクター、ちゃんと点滴できるのだろうかと心配になってきます

「病院に文句言ってやるーーーー!!!」と
腹の虫のおさまらない娘をなだめているところに
処置を終えた当の医者がやってきて
「先ほどは失礼しました」とこれまた蚊の鳴くような声

後からやってきた看護師さんは
「いろんな先生がいますからね・・・」と苦笑いです。

いろんなって・・・そりゃいろんな人はいるでしょうが
あんな人が医者だなんて。


後日その病院の関係者に聞いたところ
あの医師は極め付きのダメ研修医だとか

きっと1型糖尿病患者を診たのも初めてだったのでしょう。

あれから3年ほどたっていますから
彼は今頃は一人前の医師として
どこかの病院にいるかもしれません。

怖い話しだ


有馬温泉

名古屋で働く息子が休暇で帰省

いい機会だからと
実家の母も誘って
日本最古の湯、有馬温泉に行こうと言うことになりました。
一泊旅行です


家から車で・・・・・・・30分
近すぎや~

息子の「名古屋」ナンバーの車で行ったので
出迎えた宿の人が「遠方からお疲れ様でございます」
いや、疲れてませんって

街をぶらつき、赤銅色の金泉
金泉
のお湯につかった後は、夕食が待っています。

極楽極楽

夫はこの時とばかりに
とりあえずビールに引き続き
宿の名を冠した冷酒など楽しみます。
どんどん進む盃に
ついつい私の目がつきが厳しくなりそうですが
まあ、許そうね今夜は

美味しいお料理でおなかがはちきれそうになったところで
食事終了

夫はここでも
食後の日課のウォーキングは欠かしません

宿の浴衣を私服に着替えて
夜の温泉街にさっさと出て行きます
仲居さんが驚いて
「もうお店もしまってますが・・・・」

いいんです
お店が閉まっていようが、街が真っ暗だろうが
彼は行くのです!
血糖値を下げるため!!



部屋は2部屋続きなので
寝るのは、夫と息子の男組
母と私の女組に分かれました。

お父さんが変だったら頼むわよの言葉に
自信ないなあと息子

私は、久しぶりに
夫の寝息を気にせず寝つけました

翌朝起きてきた息子
「父さん、いびき大きいなあ
しかもとぎれとぎれやし・・・」

息子よ
私はいつもその途切れ途切れのいびきの中から
低血糖を感知すべく
耳をそばだてつつ寝ているのですよ。
しかも
一度寝たらちょっとやそっとでは起きないアナタのことだから
少し心配で
夜中にのぞいた時は
二人してグ~スカ寝てたじゃない


《回想》発症後の変化・・・その1

IDDM発症時の入院は
80日間に及びました。

当初の診たては
急性膵炎ということでしたので
本人も私も完治するものと思っていました。

【インシュリン依存型糖尿病】と言う診断が下されてからも
いつか治るのではないかという希望を持っていました。

不治の病である、と言うことを
受け入れられるようになったのは
1年以上も経ったころではないでしょうか。


退院後は糖尿病初心者として
食生活は一変しました。

その①・・・禁酒
1年365日毎日欠かさず飲んでいたお酒をキッパリやめました。
宴会、飲み会ほとんど不参加
お正月のお屠蘇も、一滴も口にしませんでした。
一口飲むことで、決意がぐらついくのが怖かったのでしょうね。
膵臓治療が終わって
「お薬は必要ありませんと」先生のお墨付きが出るまで
4年間続きました。
えらい!
(でも今はちゃ~~んと飲んでまーす)

その②・・・甘党になる
発病前は
おまんじゅうやケーキは一切口にしませんでした。
好きでないと言うこともありますが
すべては酒がまずくなるから・・・・

ところが今では、私たちがケーキや和菓子を食べていると
「おっ、おいしそうだねえ」と目が輝きます。
和洋問わず甘いもの大好き人間になりました。

体質が変わるのでしょうか、不思議です。

ただ
甘いものを食べるのに後ろめたさを感じるのか
食べる前に必ず
「それ甘い?」って聞くんです。
甘いに決まってるのに・・・

「打って食べたら?」
というと「そうだね」
と少し安心したように食べたりします。

超速効だと、おやつなどにも対応しやすいと思うのに
甘いもの=血糖値の上昇=いけない事という
刷り込みからなかなか抜け出せないようです。

その③・・・お弁当を持っていく
お昼はカロリーを把握しやすいからと
お弁当を入れてくれと言われました。
えーーーーーっ
私は結婚以来初めて
夫のためにお弁当を入れることになりました。
ご飯は、きっちり200g
おかずは子供のお弁当と違って、油ものをひかえて
(当初は2型の栄養指導を受けていましたから)
得意の冷凍食品も使えません

必然的に、魚と野菜の煮物中心
いつも茶色っぽいお弁当でしたね(ごめんなさいね、poco夫さん)
しかしいかに手抜き弁当でも、毎日は面倒でした。

夫の退職で
一番うれしかったのはお弁当作りから開放されたことかも・・・


《回想》発症後の変化・・・その2

何でも大雑把、アバウトB型人間の私と正反対の夫は
発病後の自己管理も几帳面でした。

ウォーキングはそのひとつです。

退院直後から始めたウォーキング
食後の運動は血糖値を安定させるという
確固たる信念に基づいていますから毎食後です!

朝食後は、出勤前にバス通りを軽く20分ほど
昼食後は、会社の構内を30~40分
夕食後は、町内を40~50分

11年間一日3回、ほぼ毎日やってきました。

雨の日でも風の日でも
真夏の炎天下でも
雪のちらつく寒い日でも・・・
まさしく宮沢賢治状態!

家で自転車(フィットネス室内用)こいだら?と言っても
外を歩く方が気持ちがいいって出て行きます。

もうこうなると歯磨きと同じ
やらないと気持ち悪い、落ち着かない

だから旅先でもしかり

北海道のホテルに泊まった時は
周りがあまりにも暗くて歩けない・・・・というので
じゃあ、廊下を歩いたらと提案
提案者の私もお付き合いで
夫婦で、ホテルの1階から最上階までのフロアを全走破です。

町内一週ウォーキングでは飽き足らず
山歩きも始めました。

幸い、我が家から少し歩けば
そこはもう六甲山系の一つ摩耶山ですから
週末が来るたび山歩きです。

退院当初は、青白くガリガリで、いかにも病み上がり風だった体は
逞しいとは言えませんが
しっかり筋肉がついてきました。

そのうち体力に自信がついてくると
鳥取の大山や、大台ケ原、熊野古道、高野山などと
近畿のあちこちにも足を伸ばすようになりました。
凝り性O型のなせるわざです

登山など、したこともなかったのに
病気になったおかげで見つけた歩くことの楽しさ。

退職して暇になった今は
四国のお遍路さんをしてみたいと言い出しています。

これは、宿泊を伴いますので
一人で行くわけには行かない(夜中の低血糖が心配ですから)
「poco、一緒に行って」と言われているのですが
こちらは、時間と体力が不足

どなたか一緒に行ってくれる人はいないものかと・・・・


10年日記

わたくし、熱しやすく冷めやすいたちです。

韓国ドラマにも、誰よりも先にはまり、誰よりも先に冷めました。
あんなに熱心に通ったフィットネスジムもテニスも
内職してるの?と誤解されるほど家中をパーツだらけにしたパンフラワーも
ピークを過ぎればあっという間の急降下

こんな私ですが10年日記をつけています。

今は2冊目、書き出して17年目です。
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10年分が1枚のページに入りますから
1日の書く量はしれているのですが
何年かたって読み返してみるとなかなかおもしろいものです。

ブログを書き出してから
昔のことを思い出すために、読み直すことが多くなりました。

そして探すのに便利かと
無自覚性低血糖を起こした日に付箋をつけてみて
改めてその数の多さに驚くとともに
興味深いことに気づきました。

まず発症後3年間のことが書いてある1冊目には
付箋は一枚もないということ。
10年日記

もちろん低血糖症状ははたびたび起こしていましたが
すべて自分で対処できるもので
最初は平和に過ごしていたことがわかります

結局、発病後6年間は一度も無自覚低血糖は起こしていませんでした。

無自覚性低血糖は
はじめての低血糖昏睡を起こした2004年から
ヒューマログとランタスに変えるまでの3年間に集中しています。
もっとも、その後もなくなったわけではなく
今でも、しっかり現役で
たまにsaka10さんの奥様いわくの、3掛けさん(通常の三割くらいに思考能力が落ちるからだそうです)以下になっています。

そして、もう一つの発見
12月には一度も起こしていないということ。
これは何故でしょう?

師走で忙しいから迷惑かけちゃいけないと思って?・・・・まさかね。



イライラは何のせい?

夫がイライラしているのは
暑さのせいか
低血糖のせいか

何故なんだろう?


掃除を始めた私が
夫の当たっている
扇風機を少し動かす
「もう、全然当たらないじゃないか!」(我が家、夫は北海道育ちで標準語です)

ちょっと向きが変わっただけでしょ?
それくらい自分で直したらええやん!

私は足で、音高く扇風機の向きを直して
心の声を態度で示す。


近所のうどん屋に行く
あいにく隣に子供連れの一家
男の子が甲高い声でしゃべる
お父さんも同じくらい声が大きい
うるさい!夫の目が、キッと隣をにらむ
文句言うんじゃないかとハラハラする

このいらだち方は、高血糖かもしれないなあ

ウドンが来る。
夫は3分で食べ終える。早ーッ
隣の子が大きな声で「お水くださ~い」と叫ぶ
夫にらむ・・・・

ああ、もう先に出て。
「散歩行くんでしょ?(早よ行って)」
「ああ」

出てってくれてヤレヤレ


イライラするのは
暑さのせい?
それとも・・・・



土砂降りの中のふたり

家にいても暑いだけだし
ちょうど予定もないからと
夫と「西の魔女が死んだ」という映画を見に行きました。

平日の昼間に映画に行けるなんて
定年男の特権ですね

夫婦50割引ですから二人で2000円!いい制度だ。

窓口で、お兄さんが「何か年齢(50歳以上)を証明できるものを・・・」
と言うので「顔が証明してるでしょ?」と言ったら
お兄さん「あっ、はぁ」とうなずいています。

おいおい、そこで納得したらあかんでしょ!
「イヤ、そのお顔はどう見ても20代!」って
言うのが関西人やないの!

まあ、あまり困らせてもいけないので
ちゃんと用意の免許証を見せて入ります。


館内は、ほとんどが中年女性
男性は、3人
全員奥さんと一緒の団塊世代風

彼らもヒマなんだろーな


映画は
森に住むおばあさんと孫娘の心の交流を描いたもの
(シャーリーマクレーンの娘が演じる)おばあさんはイギリス人
なのに孫娘は完全な日本人顔と言う違和感は
見ているうちに消え
ぬる~いお湯につかったようなおだやかな展開を
時々うとうとしながら見ました。

これはきっとターシャ・テューダーの庭をイメージしてるな
と思えるような、家のたたずまいとおばあさんの服や髪型

こんな中で、ゆーったりした時を過ごすのも悪くはないなあ
せっかち夫をこんな中に放り込んだら、少しはのんびりするかなあ
私の連想はあくまでも、現実的になります。



映画が済んで外に出たら
おや、雨
イエーイ、涼しくなっていいや
持っているのは、私の日傘だけだけど
まあいいかこれくらいなら、と外へ出て数歩歩いたところで
待ってたかのようなすさまじい降り

でも
ちっちゃな日傘に二人して入って
土砂降りの中、わぁ~!キャ~~!と叫びながら走っていると
何だか若い恋人たちみたいで
ちょっとうれしかったりして

ほら、映画なんかであるでしょう?
その後、東屋か何かに駆け込んだ二人が
濡れた体のままじっと見つめ合って・・・・ていう展開


現実は・・・
すぐ近くのデパートに駆け込んだ
ぬれねずみのおじさんとおばさんは
雨を滴らせながら
夕食のお惣菜を買って帰りましたとさ。

検査日

今日は、久しぶりの夫の検査日です。

3月末に退職してから
病院をすぐそばの総合病院に変えたので
いそいそと予約に時間に歩いていきました。

うちのすぐそばに大きな病院があるというのに
退職するまでは
会社の近くの病院にかかっていました。

検査のために一日休むなんてもったいない
会社の近くなら、勤務の合間(つまり仕事を抜け出して)に行けるじゃないか
と言うのが夫の持論・・・・ごめんなさい社長さん

いつも検査の日は
テストの成績(いい時の)をいち早くママに知らせたい子供のように
私の携帯に
「HbA1Cは、○○でした」と言うメールが入ってきました。

余計なことは一切書かない夫ですので
たいていこの一文だけ!
でも、先月より下がってたら
ピースサインが付いてるんじゃないかと思うような
気持ちの弾みが伝わってきます。

逆に上ってると
がっくりしている姿が目に浮かびました。

この一年ほどは順調に下がってきていたので
これは結構待ち遠しい日だったのに
新しい病院は、なんと検査が8週間に1回なのです!

間に連休などが入った前々回などは10週間も飛びました。
先生に交渉したけれど「必要ありません」と却下されたのだそうです。

なんで~~?患者の気持ちわかってないなあ


2ヶ月前の検査では、大幅アップの6.0
これは、今年に入って低血糖が頻発したので
私が、寝る前のランタスを減らしてくれるように何度も頼んで
何とか不承不承一単位減らした結果かと思われ
ちょっと責任感じるし
またその後、元に戻したりしたので
今日の結果が気になります。



「どうやった?」
5.8だった」
「あっよかったね」

一時は5.2まで下がっていたこともあるので
夫としては、この位では物足りなさを感じているようですが
低血糖を起こすより、これくらいがよいよい。
Dr.pocoは満足じゃ。


次回はまた10週間先
待ち遠しいことです。

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Author:poco
                夫は20年前に1型糖尿病発症。いろいろあったけどやっと落ち着いて過ごしだしたところに、思いもせぬ血管肉腫というガン宣告。
極めてまれなものということで一時は絶望的な思いに駆られましたが、週1回の抗がん剤点滴でがん細胞と折り合っているらしく、無事に4年目にはいりました。
ちっとも甘くない生活だけど、初孫(♀1歳)とひょんなご縁でうちの子になったチワワのりく(♂9才)に癒される毎日です

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1型糖尿病とは

    

ある日突然、何らかの原因で膵臓のβ細胞が破壊される自己免疫疾患。        発症原因も治療法も一般的な糖尿病とは異なります。 体内でインスリンを作れないので、毎日数回のインスリン自己注射をして血糖の上昇を防ぎます。           適切なインスリン注射により、仕事運動、旅行など健常の人となんら変わることのない生活を送ることもできるし、食事の制限もありません。     しかし、低血糖や高血糖に陥ることも多く、完治することはないので、このインシュリン注射は一日も休むことなく一生続けないといけないのです。

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