反省しない女

一時停止違反につかまりました

場所は、うちの町内

十字路だけど
片方はほとんど車が通ることのない道なので
町内の人なら10人中8人、いや9人が停まらず曲がるところです

おまわりさん、あんなところで張るなんて違反よ!

そりゃあ、きっちり停まらなかったわよ

でも
曲がり角だからもちろん徐行はしてるし
一応、安全確認もした上で曲がってる。
対向車も、後続車も、もちろん歩行者もなし!

それなのに・・・・
曲がったとたんピピーッとホイッスル
なに~っ?と思ってバックミラーを見たら、バイクのおまわりさん
ウヌッ、電信柱の陰に隠れてたな~

「前の車、一時停止してませんよ~~」
まずい!と思った時にはすでに遅し

(お、お役人様、お見逃しを~~~

「あそこは子供も通りますしね~ちゃんと停まらないとね」
(わかってるわ!でも今は登下校時とちがうでしょ

「一応告知しておきますね」
(告知って何?注意するだけ?そんなら何ぼでも告知して)

「免許証見せてください」
(見せます見せます、でも、見せるだけでしょ?)

免許証見たり、車のナンバー見ながら用紙に記入
(お願い、減点だけにして)

「エーッとですねぇ、一時停止違反反則金7000円ですので、なんじゃらかんじゃら」
(な~~んや、やっぱり罰金いるのかあ)

私は
酔っ払い運転はしないし(飲めないもん)
駐車違反もせず(めったに・・・)
スピード違反もしない(ひどくは・・・)
真面目なドライバーなのに

誰にも迷惑かけずに左折しただけなのに

ねえ、おまわりさん
一度でいいから言ってみて
「ありがとうございました!」って

道路交通法違反をしたにもかかわらず
一向に反省の色のない私です

でも、減点が消える1年間は用心深く(見つからないように)運転しなければ・・・・と
心に決めたのでした

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週末の夜の過ごし方

どなたかがブログで、神戸が大好き!と書いておられましたが
神戸の街のよさは
ローカルシティならではの
程のよい大きさにあるのかもしれません

端から端まで車なら1時間かからないんじゃないかな?

だから、夕食の後に
映画行く?なんて事が気楽にできるのです

しかも最近の映画館は色々とサービスしてくれる

まず、駐車場が3時間無料でしょ
併設のショッピングモールで食事やお買い物すれば
最大5時間まで無料という太っ腹
それから夫婦二人割引で2000円でしょ

というわけで
行って来ました

トム・ハンクス主演天使と悪魔

いやあ面白かった

就寝時刻の早い夫が眠くなるんじゃないかと心配してたんだけど
話の展開が速く、終始ハラハラドキドキ
眠くなってる暇がなかったって

まあ、映画ですから
え~~~ッと思うようなところもあるけれど
前作のダビンチ・コードに比べると
はるかに明快

しかも、ローマの史跡やバチカンの様子がふんだんに出てくるので
イタリア好きとしてはたまらないわけです

映画は満足でしたが
夫は、2時間半の鑑賞中に低血糖になっては困るから、と
ブドウ糖キューブ1個、口に放り込んだのがアダとなり
少々高目になってしまったのはざんね~ん

映画が終わって出てきたら10時前
だのにロビーは
最終回のレイトショーの始まりを待つ人たちで
いっぱい

そんな時刻には
家でTVでも見てるのが普通のおじさんとおばさんは
若者達にとったら、夜はこれからなんだなあ
と、感心しながら帰途についたのでありました







MTがMTになったわけ

夫、本名MT・・・・

無自覚低血糖(略してMT)の経験豊富です
昏睡経験も何回もあります


しかし
これは何の自慢にもならないどころか
むしろ上手にコントロールをされている方から見れば
何でそんなになるの?信じられな~い
と思われることかもしれません

発症後12年の今
インターネットでIDDM関連の多くの情報を目にするたび
MTがMTになったのは
病気や、低血糖に対する知識のなさが
原因だったのかな・・・と思います


入院中に夫は
低血糖は怖いということを
一応は教えられたそうです

「低血糖でこん睡状態になったりするんだって

昏睡状態で長時間放置されてたために
植物人間になっちゃった人がいたんだって」

「ふ~~ん低血糖って怖いんだね
そんな会話をした覚えがあります

でも
そもそも初めは
低血糖そのものが、どんなものかすらわかってない・・・

「なんか体がザワザワするんだけどこれが低血糖なのかなあ」
ってそんな調子でしたし

そのうち
冷や汗をかいたり
舌がしびれたり
寒気がしたり・・・などと
いろんな症状を経験するようになると

「こんな風にちゃ~んと低血糖を感知できるのに
なんで昏睡までいってしまうんだろう~

低血糖で意識をなくす・・・・
そんなこと実際にはないよねえ」
・・・・そんな気持ちにすらなっていったのです


夫の主治医は現在4人目ですが
発病以来10年間は、糖尿病専門医ではありませんでした

専門でなくても、IDDMについて多くの知識を持ち
適切な指導、助言のできるお医者さんは
大勢いらっしゃると思いますが
残念なことに
かつての主治医はそうではなかったようで
低血糖については、いつも
「気をつけてくださいね」程度で
それがどれほど危険なものか
それを回避するためにはどうすればいいのかなど
教えてもらったおぼえはありません

むしろ
運動もするし
食事にも気をつけている(カロリー至上主義でしたが)夫に
お医者さんは
「いいですねこの調子でやって下さい」
と言われるのが常でした

ですから
発症5年目に転勤で転院した頃には
夫にとっては
HbA1cを下げることが最大の目標になっていました

「HbA1cを下げるためには
正常値と低血糖のギリギリを狙わないとダメなんだ!

たびたび低目を出している夫に
もう少し上目維持にしたら?というと
決まって不機嫌に返ってきた言葉です

そう言われると、引き下がらざるを得ません

糖尿病=合併症と思えば
HbA1cを下げたいという気持ちは、わからないでもありませんから

知らなかったのです
低血糖の頻発がそんなに怖いものだとは・・・

あの頃
「こんなにたびたび低い数値を出してたら
無自覚になってしまうよ」と
注意してくれるお医者さんがいたら・・・・

「HbA1cを下げることも大事だけど
低血糖を起さないようにする方がもっと大切なんだ」
という事を、切実に教えてくれるお医者さんがいたら・・・

その後の状況は、多少違ってきたかもしれません


発症5年目にして
初めての昏睡を起した後の検診時に
意識不明になったことを伝えた時ですら
Dr.からのアドバイスは
「今後はそうならないように気をつけて下さい」
・・・・その程度でした

今、こうしてインターネットを通じて
色々な先生方のきめ細かい指導や
適切なアドヴァイスを見聞きするたび
あまりにも知らないことが多かった、と
はがゆく悔しい思いに駆り立てられるのです

でも
何もかもを、お医者さんのせいにするつもりはありません
あの頃
何らかの助言をしてもらっていたとしても
「HbA1cは低ければ低いほどいい!」と思っていた夫は
受け入れようとはしなかったかもしれません

痛い目をいっぱい味わったからこそ
ようやく
HbA1cの多少のupには目をつぶっても
低血糖回避に目標を定めるという
意識の切り替えを
受け入れられるようになったのかな、とも思います


ここ数ヶ月のMT(夫)は、MT(無自覚低血糖)ではなくなりました


いつ何時起きるかわからない無自覚に
気の休まることがなかったあの頃・・・・
私は日記にこう書いています

「このままではたまらない!
でも状況を変える方法がきっとあるはず
状況が変わる日がきっとあるはず・・・・」と

状況は変わりました!

安心しきってはいませんが
平穏に過ごせる毎日に感謝です

この平穏が、一日でも長く続きますように・・・・・




あの頃に比べれば
リタイヤ夫が毎日家にいるストレスくらい
フン、軽いもんさ!



夫婦の会話

夫、今月の受診結果を電話で聞きました 


上がってるんじゃないのかなあという、私の予測に反して

0.2


ヘッあんまり高いの出てないの?

いいや、出てるよ

(そうだよね、測定後、あ~~あってよく言ってるもの)

でも200以上はないとか・・・

そんなことないよ
何回もあるよ(ケロッ)

ほーーう
200以上が何回もあるのに
HbA1cが下がってると言うことは
測ってない時に、低血糖になってる可能性がありますね

poco~~
誰かさんの先生みたいだねぇ

ハイ!
わからないことがあったら何でも聞いてね

先生!下がった理由は・・・・
おかしいなと思う時は、夜中でも起きて測定して
追加打ちするから
高いまま放置してる時間が短いためかと思います

夜中の追加打ちは
あんまり多用して欲しくないです!
下がりすぎがこわいもの
それより
スライディングスケールをもっと綿密に取り入れたら?

チップがいくらでもあるわけじゃないんだから
体感的にわかることを必要以上にやることはないよ


理想を口にする妻と
体感を基に反論する夫


会話は、どこまで行っても平行線のままです

一触即発か・・・と思いましたが
それはまあ、相手を思っての発言ということで
爆発までは行かず・・・・

血糖値を話題に
めずらしくはずんだ(??)
夫婦の会話でありました















OLD FRIEND

映画「卒業」を見たのは
20歳になるかならない頃・・・ではなかったかしら

ダスティン・ホフマンって
あんまりタイプじゃないので
いまひとつ感情移入はできなかったけど
教会から花嫁姿のキャサリン・ロスを奪って逃げ出すラストシーンは
若い女の子(私のことです!)の胸を
キュンってさせたものでした。

(人生経験豊富になった今考えると
あんなことして、後どうなるのよ
決して幸せにはなられへんわ・・・・と思うのですが)

そして
それにも増して印象的だったのが
主題曲サウンドオブサイレンスやスカボロフェアなどの
サイモンとガーファンクルの音楽でした

その
サイモンとガーファンクル ジャパンツアー2009に行ってきました!

サイモンとガーファンクル

場所は
大阪、京セラドーム
京セラドーム

ここって・・・・
野球やるとこやん
・・・・広すぎ!(◎_◎;)

一体何人入ってるんやろう・・・
(今朝の新聞によると3万5千人でした!ウヒョ~)

先行予約で取った席は
幸いにもアリーナ

前から47列目と遠いけれど
舞台ほぼ正面
通路を挟んで2列目なので見やすい

ぐるりと周りを見渡すと・・・・
2,3階席までぎっしり埋まっています

年齢層・・・さすがに高いな

ジャンピング禁止!って紙貼ってあるけど
みんなやれませんって、そんなもん

開演予定時刻の7時を10分ほど過ぎたところで
二人が登場
ツアータイトルでもある「OLD FRIEND」が静かに始まりました

遠目には二人とも、ちっとも変わっていませんが
大画面に映ると、さすがに人生の年輪が感じられます

音楽性の違いから
一時はデュオを解消してそれぞれ独自に活動していたこともあった二人が
67歳になった今
またこうしてハーモニーを聴かせてくれる

40年前の少年少女たちは
彼らの音楽に
自分達の青春時代を重ね合わせながら
聴いていたのではないでしょうか

冬の散歩道、スカボロフェア、Mrs.ロビンソン、コンドルは飛んでいく、などなど
耳なじんだ曲が、惜しげもなく披露されます

でも、私が待っていたのは~明日に架ける橋~

サビの高音大丈夫かなと心配したけど
充分に期待に応えてくれて
観客席は大盛り上がり

アンコールでは、待ってましたのサウンドオブサイレンス

♪~Hello,darkness my old friendのハーモニーにしびれる~~ウ

ラストの
いとしのセシリアでは
さすがの熟年層も全員スタンディングで燃えます

ドームの音響は悪く
音がはね返ってずれて聞こえてきたり
ガーファンクルの声に、くぐもった感があったりはしたけれど
充分な満足感に包まれながらドームを出たところで・・・・


「すいません、毎日放送~ちちんぷいぷい~ですけど
感想聞かせてもらえませんか?」
って、ビデオカメラ持った人

わおお~~!TVの取材?

「いかがでしたか?」
「よ、よかったです、とっても」(そんなことしか言えんのか

「どの歌が一番よかったですか?」
「明日に架ける橋です!」(誰もが言いそうや・・)

「昔からのファンでしたか?」
「アッ、はい」(もっと何か他に言うことはないのか)

「彼らに何て声を掛けたいですか?」
「あ~~、お疲れ様
2時間も立ちっぱなしはしんどいでしょうから」(自分を基準に考えている)

「最後に、彼らに何かメッセージを・・・」
「ひゃくまで、歌い続けてください」

我ながら、しょうもないコメントでした
あれでは、ボツやね・・・と笑いながら

それでも、ちょっとだけ期待をして
今日のちちんぷいぷい録画して、見ました・・・・・・







映ってませんでした・・・・・




風鈴

お正月に数日戻ってきただけだった娘が
週末に帰るという連絡をしてきました

物置化している部屋を片付ておかなくっちゃと
掃除機をかけ
寝具を、冬バージョンから夏用に取り替え
ヤレヤレさっぱりしたと
整えたばかりのベッドに
ごろ~んと転がって
開け放った窓から入る風に
気持ちいいなあ、って吹かれていたら・・・・

チリン♪~    チリン♪


あっ、風鈴・・・・

控えめでいい音

どこから聞こえてるのかな~~
と、立ち上がったら

部屋の天井にぶらさげたままの
ウインドウベルが揺れているのでした

これは
長男が沖縄に修学旅行に行った時
妹にお土産って買ってきたものだったっけ?

いや
本人が卒業旅行で行ったバリ島で買ってきたものだったかな?

記憶はあいまいです


涼やかな音を聴きながら
思いは行きつ戻りつ・・・・


うちの子供たちは二人とも大学進学と同時に
下宿生活を始めたので
親子4人で暮らしたのは
15年に過ぎません

下宿暮らしを始めた当初こそ
二人とも比較的頻繁に帰ってきましたが
慣れるにしたがって
戻る回数は減っていきました

仕事についてからは
当然のこと、なお間遠になって
顔を合わせるのは年に数えるほどです

結局私は
子供たちの18歳以降の姿を
ほとんど見ることなく過ごしてきたんだなあ、と思うと
できるものなら
過ぎてしまった年月を
たぐり寄せて、やり直したいような思いにかられてきます

今日はどんな服を着て行ったんだろう
昨日は何を食べたんだろう
どんな友人と
どんな会話をしているのだろう
どんな恋をしているのだろう(してないかもしれないし

わかったからといって
どうってことはないんだけれど

わからないことが
今は
はがゆく、じれったい



娘の帰省はわずか3日
その間も
大学時代の友達と合うだの
高校からの親友と合うだの忙しいこと

それでも

いってらっしゃいと見送り
おかえりなさいと出迎え
今日ねえ、○○でね・・・・というおしゃべりを聞くだけで
充分満足・・・と思う母です



さあ、残りのお掃除、さっさと終わらせてしまいましょう



最近感じ悪かったこと

団塊世代・・・
いわずと知れた日本で一番人口の多い世代

わたくし、その団塊と呼ばれる世代の最後の学年です


どれくらい人数が多かったかと言うと

小学校の時は8クラス

まあこの程度はそんなにびっくりするほどでもないけど
今みたいに一クラス40人なんて、のどかじゃなくて
一学級55人前後ですから、教室はぎゅうぎゅう詰めです

中学はすごいよ~

一学年17学級 850人!

イヤイヤ、その程度で驚くなかれ

ひとつ上の学年は 19学級

ふたつ上はドドンと 22学級!

あわせて58学級 全校生徒数3000人越すマンモス校でした

3000人ったら
あなた、そりゃあ壮観よ

修学旅行なんか、人数多すぎていっぺんに行けなかったもの

教室も、運動場も人であふれかえっていましたね
先生達も大変だっただろうね

でも私たちは
それが当たり前って思ってましたからね

ずーっと
過密状態の中で、競争を強いられてきた人生だったんだなあ

しみじみ・・・・・



その団塊世代が順に還暦を迎え
今年はついに我々の番

そこでお定まりなのが還暦記念同窓会

小、中、高と次々開催予定です


ここでようやく
本日のタイトル
「最近感じ悪かったこと」・・・につながります

小学校同窓会の準備委員の一人である私は
住所が判明した同級生、文子さんに電話をかけました

「Yさんですか?」
「はい」
男性が出ました
なんか投げやりで、ぶっきらぼうな声・・・ヤな感じ

「私、○○(旧姓)と申しますが、文子さんいらっしゃいますか?」
「フミコ

不機嫌そうな声に
あっフミコじゃなくアヤコやったかな、と一瞬躊躇
「あの~私、小学校の時の同級生で・・・」
と、言いかけると
いきなり
「あんた、××党やろ!」

「はあ?
違います。
△△小学校の同窓会の案内でお電話してるんです」

「うそつけ!
選挙が近づいたら
同級生やゆうて、投票依頼の電話してくるやないか!
わかっとるんやから!」

ムカつく~~~~

「違います!
文子さんのご主人ですか?
選挙なんか関係ありません

同窓会をするので連絡したんです
6年1組の○○です
なんなら、奥さんに聞いてみてください」

しつこく××党だと言い張るその男性に
再度、同窓会の件を詳しく説明すると
「あ~っそう

と勢いは収まったものの
「あんた、解散直後に電話かけてくるからや
時期が悪いわ」
って、なんやの

言い訳しないで、失礼しましたって、謝んなさい!

結局
文子さんは留守で
用件は伝えてもらい
折り返し電話をしてもらうことにしましたが

もうーーー!感じ悪いったら


夫には
同窓生からの電話の応対には、くれぐれも気をつけてね
・・・・と伝えました



電話から2日・・・・・
文子さんからの連絡は、まだありません
















その日のために

特養
老健
デイサービス
グループホーム
ケアハウス

これらはすべて高齢者のための施設です
そして
私が仲間3人でボランティアに行っている所です

“ピアノの伴奏で
童謡、唱歌、流行歌など誰でも歌える歌を一緒に歌いましょう”
という、お気楽なボランティアなのですが
意外と、こういうことをやるグループが少ないらしく
ボランティアセンターなどからの依頼もあり
最近では、月に5~6回、出番がある売れっ子(?)なんです

もちろん
施設によって利用者の状況もさまざまです

ほとんどが、認知の方というところもあれば
お元気な方ばかり・・・というところも
そういうところでは、我々と、さほど年の変わらぬ方もいて
自分があちらの席に座ることも近いかも・・・と思ったり

どういう人が利用できて
費用はどのくらいかかるのか
どのくらいの期間入所できるのか
どういうケアが受けられるのか

その日のために
きちんと把握しておかなくっちゃね

ところで
いろいろな介護施設に行ってみて
よく感じることがあります

それは

ハードじゃなくハートだ、ということ

建物、設備がどんなに立派でも
ちっとも温かみが感じられず
利用者の方にも笑顔が少ないところもあれば

建物は古いし
セッションをやる場所も狭く
落ち着かないんだけれど
なんだか和やかな雰囲気にあふれているところもあるのです

それは、もちろん
我々ボランティアへの対応にもあらわれます

何人ものスタッフが付いて
利用者さんと共に歌って盛り上げて下さるところもあれば
私たちがセッションを行っている時は
そばにはいるけれど、ノートつけなどしていて
一切おまかせ、というところもあります

終了後は
利用者さんたちと並んだ席で
お茶とお菓子をふるまって下さるところもあれば
夏の暑い時にでも、お茶の一杯も出してくれないところもありました
(ここは、あまりのひどさに4年でやめましたけど)

若いスタッフのチンタラした態度に白けて帰ったこともありますし
同じように若くても「あの子、エライねえ、いいヘルパーになるわ」と仲間で賞賛しあうこともあります

その施設の方針
長と呼ばれる人たちの考え方
あるいは人柄が反映されるのでしょうか

こうやって
施設のよしあしを感じられるということは
将来
介護施設を選ぶことになった時
大いに役に立つんじゃないかなあ・・・・なんて思っているのですが

しかしその時には
こういう施設はすでに満杯で
選択・・・などと悠長なことは言ってられないかも


あ~~
我々団塊世代は
老人施設に入るのにも競争がついてくるのでしょうか

虹の向うに

遠い道のり
遠く長い道のりだったね


暗雲
暗雲が垂れ込めた時もあったね


険しい道
険しい道もあったよね



















岩田
岩田君・・・・


 やったね!
やった!


待ってたよ 
初勝利
ナイスピッチング


しかも
完封
 
プロ初完封



 おめでとう!

ヒーローインタビュー




でも阪神
8点も取らんでもいいのに

明日にちょっと取っとけばいいのにな・・・



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プロフィール

Author:poco
                夫は19年前に1型糖尿病発症。いろいろあったけどやっと落ち着いて過ごしだしたところに、思いもせぬ血管肉腫というガン宣告。
極めてまれなものということで一時は絶望的な思いに駆られましたが、週1回の抗がん剤点滴でがん細胞と折り合っているらしく、発症後3年目をなんとか無事にすごしています。
ちっとも甘くない生活だけど、ひょんなご縁でうちの子になったチワワのりく(♂8才)に癒される毎日です

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1型糖尿病とは

    

ある日突然、何らかの原因で膵臓のβ細胞が破壊される自己免疫疾患。        発症原因も治療法も一般的な糖尿病とは異なります。 体内でインスリンを作れないので、毎日数回のインスリン自己注射をして血糖の上昇を防ぎます。           適切なインスリン注射により、仕事運動、旅行など健常の人となんら変わることのない生活を送ることもできるし、食事の制限もありません。     しかし、低血糖や高血糖に陥ることも多く、完治することはないので、このインシュリン注射は一日も休むことなく一生続けないといけないのです。

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