穏やかな時間

母が退院しました

ナースステーションの看護師さん達がみんなで見送ってくださいました。
75日間の入院生活ともなると
スタッフのみなさんとも顔見知りになり(母ではなく私が)お別れがちょっと寂しい
暖かい介護をありがとうございました

ただ、骨折も肺炎も癒えたけれど
足は萎え、車いす生活になってしまいました

一人で寝返りも打てません
食べることから寝ることまで、何から何まで介助が必要です

退院後を心配していたのですが
元のグループホームが 「帰ってきてください」と快く受け入れてくれました
介護用ベッドと車椅子を用意して、スタッフのみなさんが「お帰りなさい」と迎えてくれました

ありがたくて涙が出ます

昨日は刻み食だとあまり食べなかったからと
今日はミキサー食にして下さっていました
様子を見て、徐々に戻していくとか
いろいろきめ細かく対応してくださり安心です

病衣で過ごしベッドで食事を摂る病院と違い
朝には服に着替え、テーブルで食事する日常が戻り、ホッとする思いです

母からしゃべることはないのですがコミュニケーションは取れます
声は小さいのですが、時に思いがけないほどの応答をして驚かされることもあります

先日も「お祖母ちゃん、何もつけてないのに肌きれいやね、私よりしわが少ないわ」と言ったら
「そう?ほな誰かお嫁にもらってくれるかなあ」などと言ったりするので笑ってしまいました

娘が、仕事でどこそこへ行くんよ、という話をした時は
「仕事楽しいからか、お嫁に行くの忘れてるね」
と一本取られていました
「○ちゃんの花嫁姿が見たいわ」と言われた娘が
「それならお祖母ちゃん、もうちょっと元気で長生きしてもらわなあかんわ」と言うと
「そうかあ、100歳まで待っとくわ」
「え~~!そんなに待たなあかんの」と私
ごく普通に、茶の間で交わすような会話がほっこり幸せな気持ちにしてくれました

まあ、いつもいつもこんな調子というわけには行きませんが
たまにでも、こんな時間があるととてもうれしい

気候も良くなってきたし
車椅子で近所の散歩もできそう

夫の病状も落ち着いているし
しばらくぶりに訪れた、穏やかな時間

でき得れば一刻も長く続きますように

いつだって
ボクはいつだって心穏やか









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天空の聖地を歩く

母が退院して少し落ち着いたので高野山に行ってきました

年のせいかこのところやたら信心深くなった・・・・わけではなく
少し前に、年若い友人に勧められて御朱印を集め始めたもので
以来,神社仏閣に行きたくて仕方がないのです

不謹慎な動機ではありますが、まあいいじゃないか

で・・・・

高野山は、標高900メートル
かなりの急カーブの続くドライブウェイを過ぎたところに現れたその町は
大門という名のこの門から始まります
大門

街には110余りの寺や塔が立ち並び
その間に土産物屋や食べ物屋さん、民家などがある
まさに天空の聖地というにふさわしいおもむきです

開創1200年ということで、大変な賑わいと聞いていた通り
お遍路装束の人や、リュックを背負った一人旅、ツアーで訪れた人、外国人などが参道を行き交っていました
これが紅葉や桜の時期や、何かのイベントの日程とも重なればもっと混雑するのでしょう

IMG_1482_convert_20150918094525.jpg

中門の仁王様の胸に、トンボのペンダント・・あら、お茶目だこと
トンボのペンダント

うちからだと片道3時間余り
なんとか日帰りでも行ける距離ではありますが
せっかくの機会なので宿坊に泊まることにしていました

宿坊入口
町の中ほどにあるお寺・・・ここです

掃き清められた庭
凛としたたたずまい
美しく掃き清められた庭

背筋が伸びる思いがします
「た・たのもう~」・・・・(実際には言ってません)

ちょっとばかり緊張して玄関に入ると
お坊さんがソフトににこやかに迎えてくださったので、ちょっと拍子抜け

宿坊の襖絵
厳かな襖絵のある広間を見ながらお部屋に案内されます

年代を感じる、家具調度
宿坊部屋
普通の旅館と同じように、お坊さんがお茶とお茶菓子を運んできてくれました

宿坊は元々は信者の寝泊まりする部屋としてしつらえられたものなので
基本、トイレ、お風呂、洗面所などは共用です

食事はお部屋食 もちろん精進料理 お酒もOK
精進料理

大名膳で運ばれてきたけど、こういう体勢で食べつけないもんだから
足の置き場に四苦八苦する前期高齢者夫婦

造りのせいか廊下を歩く音がすさまじく、これは夜間うるさいんじゃないかと思ったけれど
宿泊客はみんなお行儀がよく、薄い壁一枚隔てただけなのにとても静かにお寺の夜は更けていきました

(つづく)

奥の院

翌日
宿坊の早朝の勤行に参加

正座を覚悟してたら、なんと椅子が用意されていました!
高齢者や外国人に配慮かな?・・・・助かるぅ

ろうそくの灯りだけのほの暗い本堂で30分ほどのお経の響きに身を置き
お焼香をし
身も心も清らかになった???ところで部屋に用意されていた朝食を済ませさっさとチェックアウト
奥の院へと向かいます
参拝客が増える前にお参りしようという算段です

高野山に行ったことのある友達(結構多い)にどんなところ?って聞いたら
口々に「奥の院がなんとかかんとか」って言うので
奥の院、って何?って聞くと
みんな「お墓がいっぱいある所」という答え

おはかがいっぱい・・・・???

ピンと来ぬままに行ってみたのですが・・・・・ほんとにお墓がいっぱいの場所でした


高野山の信仰の中心であり一番奥に位置する奥の院は、この一の橋から始まります
一の橋

これより先は聖域なので
足を踏み入れる前に、手前の手洗場で手や口を清め一礼してから入ります
(って書いてあるので、不信心の我々もそれにならいました)


一の橋から一番奥の御廟まで約2キロメートル

その間、有名無名を問わず20万を超える墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が立ち並んでいます
路傍のお地蔵さま
名だたる会社の大きな祈念碑もあれば
歴史上の人物のお墓も大小あり
お参りする人もないのか、おそらく庶民の半ば傾いた墓石もあり
ここに埋葬されてからの歴史を感じさせられます
苔むす墓

苔むした杉木立の中、御廟までの2キロの道をゆっくり歩いているうちに
なんだか、不思議ととても清々しく敬虔な気持ちになっていったのは
森の持つフィトンチッドの働きか、それとも弘法大師様のお力か

帰って話すと、行った人みんなそんな気持ちになったというのです

空海によって開かれて1200年
長い年月の様々な人の弔いの気持が何か霊的エネルギーのようなものとなっているのかもしれません

一番奥の御廟では、弘法大師が今も奥の岩室で生きて衆生のために瞑想を続けておられるのだそうで
脱帽し写真撮影も禁止です
ガン治療でマルガリータになって以来、外出時はワッチキャップを欠かさない夫も、さすがにはずしました
御廟

自分ちの宗派もすぐには出てこない不信心ものですが
お大師様、この静かなひとときをありがとうございます
これからも、(なるべく)誠実に生きて行こうと思いますので、何とぞよろしく!とお参りしました

ご朱印もあちこちのお寺でいただいて・・・・当初の目的も達成
ご朱印

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                夫は20年前に1型糖尿病発症。いろいろあったけどやっと落ち着いて過ごしだしたところに、思いもせぬ血管肉腫というガン宣告。
極めてまれなものということで一時は絶望的な思いに駆られましたが、週1回の抗がん剤点滴でがん細胞と折り合っているらしく、無事に4年目にはいりました。
ちっとも甘くない生活だけど、初孫(♀1歳)とひょんなご縁でうちの子になったチワワのりく(♂9才)に癒される毎日です

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1型糖尿病とは

    

ある日突然、何らかの原因で膵臓のβ細胞が破壊される自己免疫疾患。        発症原因も治療法も一般的な糖尿病とは異なります。 体内でインスリンを作れないので、毎日数回のインスリン自己注射をして血糖の上昇を防ぎます。           適切なインスリン注射により、仕事運動、旅行など健常の人となんら変わることのない生活を送ることもできるし、食事の制限もありません。     しかし、低血糖や高血糖に陥ることも多く、完治することはないので、このインシュリン注射は一日も休むことなく一生続けないといけないのです。

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