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旧交を温めに東京へ

先日、東京に行って来ました
二つ続けてやってきた台風の最初の方と一緒に(笑)

首都に行くんだから
久しぶりに会う人がいるんだから
ちっとはオシャレして行こう・・・と思ってたけど
濡れるの必至だから
セーター+ジーパンに変更
スーパーに買い物に行く時のスタイルです
その上に100均のカッパで台風対策は完璧

これで銀座を歩いてやる!

と乗り込んだ東京でしたが
東京駅~地下鉄~地下街なので、義姉たちと待ち合わせのお店に入るまでほとんど濡れることなく
都会に住んでたら傘はいらん、ということを実感

約束の場所には、久しぶりに神戸のおじちゃんたちが来るって言うので、甥っ子もふたり来てくれていました
甥っ子ったって40代ですけどね
私たちが結婚したころにはまだ小さな少年だったのに年月の速さ痛感です

「○○ちゃん(義姉たちは70歳の夫を子供の時と同じ愛称呼びます)元気そうじゃない」
夫を見て義姉たちは安心したように言いました
感染症で何度も入院していることも
副作用がひどくなってきていることも伝えていませんから

一見元気そうで、こうして旅行もでき、食事も摂れお酒も飲む様子からは
ガンを患っているようには見えないのかもしれません

その日は上の義姉の家に泊めてもらいました
面倒見がよく、愚痴めいたことを言うことなく明るくて溌溂としたこの義姉が、私は大好きなのです
夫はいつも通りの早寝でしたが、私は何年かぶりの義姉とのたっぷりのおしゃべりを楽しみました

翌日は
夫の友人夫妻と夕食を共にすることになっていました
夫たちは数年に一度は会っていますが、夫婦でお会いするのは35~6年ぶり

この明るく愉快な夫の一番の友人は
学生時代からのおつきあいと言う素敵な奥様と
1年ほど前に高級(たぶん)有料老人施設に入られたのです
「家も処分したので、もう戻れない、ここを終の棲家にせざるを得ないんだよ、ハッピーなんてほど遠いよハハハ」
と、言葉とは逆に楽しそうに笑っておられました

「モノの処分がもすごーーく大変でした」とおっしゃる奥様は
「とても狭くなりましたけど、どこかで安心感があります」と

子供さんがおられない、ということもあろうかと思いますが
まだ早いんじゃないか、などと言う躊躇を追いやっての決断
老いへの覚悟や潔さがお見事!と二人がまぶしく見えました

その日は町田のホテルに宿泊
なんで町田?

と言うのには訳があって
今回の上京、実はもう一つの目的があったのです

その話はまた次に・・・



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セカンドオピニオン

今回の上京目的
親戚や友人と旧交を温める・・・だけではありませんでした

2泊3日の最後の日
私たちは神奈川県相模原にある北里大学病院に向かいました

夫が患っている血管肉腫はとても希少なガンで、あまり情報がありません
そんな中でも、この病院のM先生が全国のデータを集め治療のガイドラインを作られているのです

3年半前、手術はしないで放射線と抗がん剤で治療するという選択をしたものの
これでよかったのだろうか、と言う不安は常に付きまとっていました

放射線治療が一段落した頃
数少ない血管肉腫の情報の中で、M先生が相談に乗ってくださるサイトがあることを知り
質問のメールを送ったところ、すぐに
「文面を見る限り、最良の治療が施されていると思います」とのお返事をいただきました
そして放射線によるやけどのつらさにも触れ
「治療は大変だと思いますが、ご家族とともに頑張ってください」とのやさしい言葉も書き添えてありました

その後安心して治療に専念することが出来たのは
M先生のこの言葉があったからです

機会があれば、一度M先生のセカンドオピニオンを受けたい、と思っていたのですが
残念ながら退官されてしまいました。
でもその後を娘さんが引き継がれているのです

そこで、せっかく東京に行くのでいい機会だからと行ってみることにしたのです
予めの問い合わせでは
皮膚科はセカンドオピニオンはしていないので
通常の診察という形で受診してください、とのこと

大学病院なのでさぞかし混むだろうと覚悟して
早目に着くために、前日は町田のホテルに泊まったのです
小田急線で一駅の相模大野からバスで30分

こんなことでもなければまず訪れることのなかった街です

北里柴三郎博士由来の北里大学病院はとても大きく立派でした
北里大学病院

カフェも広くておしゃれ!
スタバ

受付番号から見て、かなり待たされるだろうと思い、お茶でも飲もうかと腰を落ち着けた途端
番号が出たものだから、大慌て
紹介状があると、早く診てもらえるかもと聞いていた通りでした

急いで診察室に向かいました

担当のM先生は、きびきびした女医さんで
受付で渡しておいた主治医からの紹介状や発症時からのデータの入ったCDに目を通して下さっていたようで
頭部の患部も診た後
丁寧にお話しくださいました

すなわち
再発はあきらかであること
完治はむずかしいだろう
今の抗がん剤は効き目が悪くなっているのですぐにでも変えた方がいい等々

そして次の抗がん剤候補を3つ挙げてそれぞれの特徴、副作用についての話をされました

この病院には血管肉腫の患者さんが20人ほどもいるとのことで、治療実績も夫の通っている病院とは比べものになりません
それでも、選択の数は少ないことに変わりなく
これがいい!という確たるものものはないとのこと。
つまり、やってみないとわからないということです

そして
夫の主治医はとてもよく勉強されているので信じて治療頑張ってください
今後も何かありましたら、いつでもお力になります、という言葉で診察は終わりました
時計を見たら40分以上も過ぎていました

ここにきたら
新しい治療法が見つかるかも・・・なんて思っていたわけでもないし
ほとんどは予期していたことを言われただけなのですが
あ~やっぱりそうなんだぁ、と現実を再認識させられてしまいました

3年半の間
何とか無事に暮らして来れたものだから
あわよくばこのまま行けるのではないか、と思ったりしたこともあったけれど・・・

ちゃんと覚悟を持って
これからも、変わることなく治療に専念し
日々の暮らしは淡々と続けることにしましょうと
帰りの新幹線の中で
新横浜駅で買ったお弁当を食べながら
二人でうなづきあったのでした

医学は日進月歩
新しい抗がん剤だって出てくるかもしれませんしね

また入院

夫、ただいま入院中

眼科の手術のためで、本日その手術も無事終わりました

今年になってから
右目の白内障
左目の白内障
右目の黄斑前膜、と3回の手術をしたのですが
右目がもう一つ改善されず
半年以上も目薬を差し続けていました

2か月ほど前から
なぜか眼圧が上がって来て
目薬では一向によくならず、このままだと目が見えなくなる危険性がある、ということで
涙の出口を作る手術に踏み切ったのです

じつは、その右目のすぐそばに
血管肉腫の転移かもしれぬような皮膚の変色が見られるのです
もし肉腫であれば、目を触ることで何か影響があるのではないか、という不安があり躊躇していたのですが
眼科の先生も皮膚科の先生も影響はない、とおっしゃるのです

ほんまか!?ほんまに大丈夫なん!?

詰め寄りたいところではありますが
2つの科の先生がそう言うなら信じるしかない

こちらとしても目を犠牲にしても安心を取る!とまでは言えませんし

予定通り、約1時間30分の手術を終えて部屋に帰ってきましたが
まだ覚醒しておらず
先生や看護師さんが呼びかけても全く反応しません

前と違う麻酔を使ったんですが、よく効いてますねえ、と先生
念のために血糖値を測ってみましょうと看護師さんが
測定器を用意したのですが
右手は浮腫みがあるのでダメだし
左手は点滴が入っているので薄まる可能性がある
どうしましょう?じゃあ耳からということで耳たぶでパッチン
看護師さんは相手に意識がなくても何か処置する時にはちゃんと言葉かけをするんですね
「poco夫さん、耳たぶから血をとりますね。少し痛いですよ」って
優しくて、いいな、って思いました

ところで血糖値は・・・
57!

あらま!低血糖
急いでブドウ糖を点滴に入れます

そのすぐ後、血圧を測るために
(やはり腕で測れないので太もも部分で測るのですが)
「poco夫さんさん血圧測りますね」と看護師さんが声を掛けると
なんと自分から足を上げているではありませんか!

ブドウ糖すげ!
覚醒したようです

っていうか、麻酔が効いてたんじゃなくて低血糖昏睡だったの?
大事にならなくてよかったけど
1型糖尿病患者の手術中に血糖値管理してないのはまずいんじゃないのかなあ?

でも、もうそこからは一気に戻り
「poco夫さん、目が覚めましたか?」の質問にもはっきりと「はい」と返事が返ってきました
しかし
今度は血糖値急上昇

点滴する時に、ブドウ糖量を聞いて、その半量でいいんだけどなって思ったんだけど
当然そんなこと言えませんものね

ともあれ手術はとても順調に済んだとのこと
明日の検査で眼圧が下がっていますように

ところで
ガン以来これで8回目の入院です

今回の部屋は前より眺めがいいね
同じランクなのに、今度の方が広く感じるね
配置はこの方がいいね

などと、まるでホテルの部屋の評価をするような会話をしています

ついてるついてる

病院に行ったら、眼圧が下がったとのこと
ああよかった

手術をしても下がらなかったらどうなるのだろうと、心配してたのですが
分からないことをとやかく考えてみても仕方ないんだから
もう悪い方には考えないようにしなくては


「ついてるついてる」って
思ったり言葉にする方がいいのだと、友達が教えてくれました

プラス思考が体にもいい影響を与えるらしいのです

だから最近は何かにつけて「ついてるついてる」と言ったり思ったりするように心がけています

ついてるついてる

りくちゃん
ほっぺにさっきたべたおやつのかけらが
ついてるよ
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ついてるついてる

ライブ狂騒曲

中学時代の同期生とバンドを組んでいます
って言ったら、たいていの人がのけぞって驚く

まあね
団塊まっただ中世代
あと数年で古希というこの年でバンドと聞いたらそりゃ驚くわね

たまたま同窓会で話が持ち上がって始まったバンド
最初は3人だったのが、来るもの拒まず、去る者追わず
それでも一人増え二人増えて
今や8人の大所帯

60歳を機にベースを始めたMちゃん
S君は、新しいギターにン十万円つぎ込んだ
フルートとサックスの二刀流はM君
ドラムのI君は仏滅には出かけないというメンドクサイこだわりがあるので、練習日を決めるのが大変だ
ヴォーカルは3人もいて
元生徒会長のM君
演歌の女王Kちゃん
英語教室の先生Hちゃんはさすがの発音
そしてキーボードの私

バンド経験者ゼロ
ほぼ初心者がな~んとなく集まって
楽しけりゃいいじゃない、というノリで月一程度のペースでのんびり練習をやってた
練習後の飲み会目的で参加した人もいたような気もする

そのシロートバンドに
「ちんたら練習してるだけじゃあかん、ライブやライブをやらなあかん!」
とお尻をたたく人がいて
これまた軽いノリで「ほなやろか!」と思い立ったのが1年ちょっと前

ハーバーランドのライブハウスに顔の効くメンバーがいて
なんと半額の使用料で借してくれるという
しかし、プロも来る立派なライブハウスである
「この程度のレベルでやらしてもらっていいの?」
「向こうがいいって言うんやからいいでしょ」

お客さん来てくれるかなあという心配は
「大丈夫!同級生が(義理で)来てくれるやろう」!という希望的意見で一蹴された

どこまでもお気楽である

ところで何を演奏する?
大したレパトリーも持ち合わせないのでそこからスタートだ

これまた生意気にも青春時代のシンボルであるビートルズナンバーで行くことにした

ゴマ粒よりも小さな音符の並ぶ楽譜を
シルバーグラス(老眼鏡とも言う)を頼りに見ていく
楽譜

みんなあれやりたい、これがいい、と好きなことを言うが
好き、とできるは別
メンバーの技量と、構成で無理な曲もある

ジョンレノンが歌うイマジンはしびれるが
我々がやったら、退屈極まりないものになったりするわけで
試行錯誤の末
20曲程度を選びそこから15~6曲に絞ることにした

最初のうちは月1
6月からは月2回。若者たちに混じって、貸しスタジオでの練習が始まった
1回の練習時間は4時間
間に15分程の休憩をはさむが、その他はひたすら練習というひたむきさだから
終わった時にはくったくた
でも、みんな文句も言わず、休みもせず続けられたのは
みんなで合わせるのが楽しいから
いやア、友達っていいですね、音楽っていいですね 

というわけで
先日
ライブ本番を迎えました

そこに至るまでのてんやわんやはまた後日








ライブ狂騒曲2

ライブまでちょうどあと1カ月というころ
ギター担当のS君からグループLINEが入りました

「今○○病院に入院しています
完璧な脳梗塞とのこと•••」

えーーーーーーーーーーーっ!!!!

そう言えば、この間の練習の時
楽譜が見づらいって言ってた、あれは前兆だったのか

各パート一人しかいない我々のバンド
誰か一人でも欠けたらえらいことです

幸いなことに早期の受診だったので
手術もなく一週間程度で退院
視野狭窄が残ってはいるけれど、あとは投薬治療と聞いて胸をなでおろしました

他にも
ヴォーカルのKちゃんは
少々多めの体重が影響してか、3カ月ほど前から加齢現象のひざ痛で立って歌えない状態

ベース担当のMちゃんは、細い体に重いベースを持っての長時間練習で、ひどい肩こりに悩まされて
いつも塗る湿布薬を持ち歩いています

管楽器担当のM君も数か月前に胆石手術をしたと明かしてみんなをびっくりさせたし

さすがのロートルバンド
みんな無事本番を迎えられるのでしょうか?

そんな中、ダメ押しのように
夫の入院(先日の眼科手術のための)がライブ当日と重なりました。
まだ、手術の日でなくてよかったと言うべきか(手術は翌日)

病院から指定された入院時刻は2時
バンドの集合時刻は3時

う~む

病院とライブ会場は車で20分程度
まっ、なんとかなるかな🙄

 まだ続きます

ライブ狂騒曲3

ライブ当日

脳梗塞の彼は、奥さんに付き添ってはもらっていたものの元気で会場入り

ひざ痛の彼女は、痛み止めを打って登場。ライブ中は痛みを忘れて踊ってました

私は
入院セットと楽器というとてもミスマッチな荷物を車に積みこみ、まずは夫と病院へ

入退院センターが混んでたので、指定された病室に入ったのは2時35分
荷物の整理を手早く済ませたら
明日の手術前には来るから、じゃあね~
と急いで病院を後にしました

あとは病院におまかせして、ここからはしばし夫のことは忘れよう

会場に着いたのはきっかり3時
大丈夫、ついてるついてる、今日はきっとうまくいく

楽器のセッティング~リハーサルと予定通り進み
さあ、5時半
開場です!

メンバーみんなで友人知人に声をかけまくったので
定員(80人)をはるかに超す希望があり
お断りしなければいけないほどの盛況です

こんなへたっぴバンドを1500円(ワンドリンク付きね)も出して聴きに来てくれるなんて
持つべきものは友達

中には名古屋や東京から駆けつけてくれた人もいます。なんて物好きなんだありがたいことでしょう

そして6時半の開演以降は無我夢中の1時間半
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お客さんが
「へったくそやなあ!」とあきれて途中で席を立つんじゃないかと心配してたけど
友人たちはみな最後までやさしかった

客席
中には、やり直す失敗もあったけれど
共に歌い、手をたたき
最後にはやらせのアンコールもいただいて
全17曲、無事終えることが出来ました

音楽は一人でやるより
誰かと一緒にやる方が断然楽しい

こんな年齢になっても
こうやって、一つの音楽イベントを作り上げていく仲間がいるって
とてもしあわせなことだなあとしみじみ思った夜でありました





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poco

Author:poco
                夫は21年前に1型糖尿病発症。いろいろあったけどやっと落ち着いて過ごしだしたところに、思いもせぬ血管肉腫というガン宣告。
極めてまれなものということで一時は絶望的な思いに駆られましたが、抗がん剤がなんとかがん細胞と折り合っているらしく、5年目にはいりました。感染症でたびたび入院したり、再発の兆候も見られるし、これからどうなるか、スリル満点のちっとも甘くない生活だけど、初孫(♀2歳)とひょんなご縁でうちの子になったチワワのりく(♂10才)に癒されながら過ごす毎日です

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1型糖尿病とは

    

ある日突然、何らかの原因で膵臓のβ細胞が破壊される自己免疫疾患。        発症原因も治療法も一般的な糖尿病とは異なります。 体内でインスリンを作れないので、毎日数回のインスリン自己注射をして血糖の上昇を防ぎます。           適切なインスリン注射により、仕事運動、旅行など健常の人となんら変わることのない生活を送ることもできるし、食事の制限もありません。     しかし、低血糖や高血糖に陥ることも多く、完治することはないので、このインシュリン注射は一日も休むことなく一生続けないといけないのです。

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